株式会社メティス metis

瓦の色の力

所用で福島県郡山に行ったのだが、合間を見て、会津まで足を運んだ。
どうしても生まれ変わった鶴ヶ城を見てみたかった。
6年前に私が鶴ヶ城に行った時には、天守閣の瓦の色は黒っぽかった。
それが4年前に赤瓦に葺き替えられ、この機会にどうしてもそれを是非ともこの目で拝んでおきたかった。
天守閣の瓦の色が変わっただけでと思われるかもしれないが、赤瓦の天守閣は全て取り壊されていて、この鶴ヶ城が唯一なのだ。
鶴ヶ城の築城主は蒲生氏郷。
当時は、黒っぽい色合いのいぶし瓦だったが、積雪の多く寒いこの地方では、瓦がひび割れてしまった。
瓦に浸み込んだ水分が凍ってしまって、瓦が傷んでしまう。
そのため、保科正之時代に鉄分を多く含んだ塗料を塗り込むなど改良が重ねられた。
鉄分を含んだ焼き上がりの瓦は赤茶色となったため、赤瓦と呼ばれ、鶴ヶ城の天守閣の瓦は徐々にそれにかわっていった。
つまり、「八重の桜」の時代、明治維新のころの鶴ヶ城の天守閣の姿はこの赤瓦であり、葺き替え後の現在はこれに近づいたことになる。

会津戦争でこの城は廃墟となって、明治初期に取り壊された。
そして、私の生まれた年に、蒲生氏郷時代の姿となって、復元された。
それが、赤瓦となり、さらに生まれ変わったわけだ。
同じ城でも、瓦の色合いで表情が全く違っていて、
血の色が連想されて、不吉さを感じる人もいるようだが、私はそうは思わなかった。
赤瓦にすることによって、無機質なものが、命を吹き込まれたかのようで、温かみを感じたのだ。
瓦の耐久性という問題から、必要に迫られてこの色へと変貌を遂げたわけだが、会社の同じようなものなのかもしれない。
年月を重ねれば、いろいろなことがある。
継続のために、ステップアップのために、苦難を乗り切るために、変わらなくてはならないこともあるだろう。
重要なのは、この鶴ヶ城のように、変革によって、より生き生きとしなくてはならないということだ。
輝き方はさておき、当社も1年後、2年後にはそうなっていたいなと思う。

鶴ヶ城内にある土産店で、ちょっとした掘り出し物を見つけた。
一つが4,000円に満たない器なのだが、これが実に良い。
今まで出会った器の中で一番のお気に入りで、眺めているだけで癒される。
鶴ヶ城が贈ってくれた逸品として、これを我が家の家宝にしようと考えている今日この頃である。


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