亀の重み|株式会社メティス
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亀の重み

つくばみらい市にあるワープステーション江戸に行った。
ここは私のように大河ドラマや時代劇にはまっている人の聖地。
時代劇のオープンセットが立ち並ぶ野外型ロケ施設で、ほとんどの大河ドラマでも利用されている。
とくにこのカットは頻繁に見かける。

「西郷どん」でも使われているし、BS時代劇の「鳴門秘帖」では何度も登場している。
このセットの隅々を頭に入れてあらためてテレビを見ると、感心させられる。
時代考証を重ねたうえでこのセットにいろいろとデコレーションして、生きたものにする。
すごいものだ。
実は、このワープステーション江戸はついでで、この日の目的は、これまでなかなか行くことができなかった土浦城跡にあった。
とても地味な感じだが、念願が叶って、ようやく土浦城の太鼓櫓門をくぐることができた。
度重なる水害にも沈むことなく、周囲は水に浸されてもまるで亀の甲羅のように浮き上がって見えたことから、亀城とも呼ばれている。

城主は何人かいるが、土屋氏にとても興味があった。
土屋数直から始まり、明治維新までの200年、土屋氏がこの地を治めてきた。
この土屋氏は私の大好きな武田信玄の流れを汲む。
武田二十四将の土屋昌続。その弟である土屋昌恒は好きな武将の一人で、最後まで武田勝頼に従った。
武田家滅亡の際、勝頼が自刃するための時間を稼ぐために、土屋昌恒は織田信長と戦い討ち死にした。
負け戦となり、裏切る武将もたくさんいる中で、忠義を貫いた武将なのだ。
無駄死にと感じる人も多いとは思うが、これが後の土浦城主土屋氏200年の礎になったと言っても過言ではない。
土屋昌恒の子の土屋忠直は、徳川の家臣・井伊直政に預けられ、その流れで土屋氏の土浦城主としての200年につながったわけだ。
亀城というネーミングにも因果を感じてしまう。
たしか現存する亀の最高年齢は184歳だったと記憶しているが、これまでに200歳以上生きた亀もいる。
200年。
勝頼とともにこの世を去った土屋昌恒もさすがにここまで自分の子孫が幕府の重要な位置に座り続けるとは想像しなかったはずである。
筋を通して自分がすべきことしたまでということだろうが、土屋昌恒の後に続く子孫たちのその積み重ねがあってこそ、これだけ長い歴史が生まれたのだ。
考えさせられる。
会社も同じようなものだろう。
時代に違いはあれども、関わる人がすべきことをして、そのDNAが自然と受け継げられれば、何世代にも渡って生き続けていく。
当たり前のことを当たり前のようにできることが大切であるということだ。
はたして、当社はあと何年続くのだろう。
ふと、そんなことを考えてしまった。

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