株式会社メティス metis

33年目の別れ

始まりがあれば必ず終わりがある。
これぞ、まさに諸行無常。
私はこれまで30年以上の間、一日も怠ることなく続けてきたあるものを止めようとしている。
大好きな趣味であったとしても、毎日続けていれば、飽きもする。
食事だって、体調が悪いときに何も食べずにいた日もあって、30年間毎日続けてきたわけではないのだ。
何が言いたいかというと、これだけ続けてきたものを止めるということはすごいことなのだ。
トータル35万本。
30年かけてよく吸ってきたものだ。
今月の中旬の健康診断で、肺気腫と診断されてしまった。
煙草を吸っていれば肺気腫は想定内のことなのだが、肺活量の検査で引っかかった。
一秒率というものがあって、ボーダーラインが70%で、それを下回り、65%だった。
肺気腫と言っても、軽度のものらしいが、こうやって数値を突きつけられると抗う気力も失せてしまう。
健康診断のたびに煙草のダメぶりを聞かされてきたが、頑なに拒否し続けた。
ただ、今回は、肺活量という身近なものだけに、見て見ぬふりはできなかったわけだ。
禁煙外来を勧められたが、これは拒否。
他力本願で止められたとしても、またいつか吸いたくなってしまう。
自力で止められなければ、ここで終わりにはできない。
そもそも、他人の手に委ねて止めようとするなんて、32年間も付き合ってきた煙草に失礼な話だ。
自分自身の手で決着をつけなくてはならないのである。それが礼儀だ。
喫煙量は一日30本程度で、それを翌日から0にしてピタリと止めるのは無理。
まずは、喫煙量を一日3本の10分の1に減らすことから始めている。
かなりの苦戦を予想していたが、意外や意外。すでに10日ほど続けているが、何とか耐えられている。
その許された3本を、できる限りうまいと思えるシチュエーションで吸おう。
吸える数が少なくなったのであれば、吸い方にこだわるしかないのだが、これに神経を集中させていると、煙草のことも忘れられる。
朝起きて、シャワーを浴びてコーヒーを一杯。このときの一服は格別だ。
私の吸っている煙草はどんなコーヒーに一番合うだろうか。
こんなことを考え始めると、意識がコーヒーに向くわけだ。
夕食後の一服も最高なのだが、煙草の味をより高める食べ物とはなんだろうと考えはじめると、これまた意識が別のものに向く。
こんな具合に煙草を吸うためのシチュエーションにこだわっていると、3本でも耐えられるのだ。
この形を維持して、最終的には、来月11月の11日、11時ぴったりに最後の1本を吸って煙草に別れを告げようと思っている。
このように順調に、禁煙に向かってまっしぐらなのだが、想定外なことは、睡魔に襲われて困っていること。
とにかく、眠い、眠い、眠い。頭を働かせようすると、眠くなって仕方がない。
禁煙でここまで眠くなるとは予想していなかったで、いまはえらく作業能率が悪くて嫌になってしまっている。
1日9時間寝てもまだ寝たりないという感じなのだ。

話は変わるが、今回の衆議院選では、希望の党が大惨敗だった。
第一党の野党の座もなく、小池も完全にフェードアウト気味。
こちらは、始まったと思ったら、もう終わってしまいそうな勢いだ。
おそらく、細胞分裂を繰り返して、次の選挙にはもう存在しないような気がする。
終わらせたくないのに終わらせなくてはならないもの。
終わらせたくないのに終わってしまうもの。
似て非なるものだが、どちらであっても、終わりかけ、終わりの少し手前に、ドラマがあり、儚さを感じるのだ。

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