株式会社メティス metis

原点回帰

ときに人は、原点回帰してみようと思うものだ。
記者時代に、清貧ブームが巻き起こり、上杉鷹山の取材に行ったことがある。
ちょうど私が独立をして、いまの会社を設立する少し前のときのことだ。
「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成けり」
鷹山の言葉であまりにも有名だが、一番の失敗は何もしないことだとこれを私なりに解釈して、突き進んだ。
ジョン・F・ケネディが日本の政治家で一番尊敬している人なので、私ごときが鷹山のすごさを語るまでもない。
その頃から、私の中に湧き出た一つの疑問と格闘していた。
米沢藩第9代藩主上杉鷹山は、貧困にあえぐ領地返上寸前の米沢藩を再生した人物である。
ようは倒産寸前の会社の社長になり、再建したわけだが、もし業績が好調な会社であったらどうなっていたのか。
米沢藩の財政が安定したものであったのなら、将来を見据えて、それをより発展させることができたか。
たられば話でこのようなことはあり得ないことなのだが、鷹山の手腕を振り返るたびに、こんな疑問が生まれたわけだ。
もう一度米沢に行ったとしても、その答えは見つかるはずもない。
ただ、原点の一つともいえる米沢に行ってみたくなったわけだ。

いろいろな場所を巡ってみたが、この舘山城跡にはちょっと笑えた。
米沢なら誰しもが行く一番の観光スポットの上杉神社から車で10分ほどの距離にあるのだが、ほとんどの人は行かない。
私有地につき立ち入り禁止ではなく、「立ち入り歓迎」という看板。
この土地の所有者の遊び心が満載で、手作り感がとってもいい。
肩幅ほどの狭くて険しい山道を登らなくてはならないが、実はこの城はかの伊達政宗生誕の地だ。

山形市にある長谷堂城跡は相当良かった。
原点回帰もあったのだが、今回はとくに最上義光を追いたかった。
東の関ヶ原とも言われている慶長出羽合戦の中でもこの城を巡っての長谷堂城の戦いはとても有名。
長谷堂城は最上氏の重臣、志村光安以下1000人、攻め手は上杉景勝の重臣、直江兼続率いる1万8000人。
こちらも山道はかなりきつかったが、山頂からは直江兼続が本陣を置いた菅沢山も一望できる。

前回の米沢取材のときには、米沢牛ばかりに心を奪われて、食べてばかり、ぐうたらに過ごした記憶しかない。
それを考えれば、私もずいぶんと成長したものだ。 米沢のみならず、戦国大名や武将の軌跡を追って、山形市まで足を延ばし歩き回っている。
山形市で有名な山寺の約1000段の階段を上って、最上義光の位牌まで見に行ったりもしている。
肉と言えば、山形名物の芋煮の中に入っている肉くらいで、ほとんど毎日戦国大名の軌跡を追って歩き回っていた。
これが趣味の一つだとしても、前回とは違って、相当の進歩である。
いまは他人が評価しなくても、動くことで自分が進歩を肌で感じれば、それでいい。
一番の失敗は、何もしないことなのだから。

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