株式会社メティス metis

銀杏と国家賠償法

銀杏によって描かれた艶やかな色彩が街を覆うようになった。
私がいつも通っている青梅街道も黄色い絨毯が敷き詰められていて、何気ない日常の一服の清涼剤になっている。
日の光とアスファルトとのコントラストで銀杏の落ち葉が眩いばかりの黄金色となって、目に飛び込んでくる。
冬の到来を告げる、ちょっとした前奏曲のようだ。

絵画の中にでも溶け込むような雰囲気を味わっていると、銀杏の葉っぱでタイヤがスリップ。
考えてみれば、銀杏の絨毯には危険が潜んでいるのですよね。
実際にこの落ち葉が原因となり、事故を起こした場合には、どうなるのだろう。
国家賠償法の第二条にこうある。
1.道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があったために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる。
2.前項の場合において、他に損害の原因について責に任ずべき者があるときは、国又は公共団体は、これに対して求償権を有する。
ちょっとした落ち葉であれば問題ないが、これだけ銀杏の葉が道路に覆いかぶさっていると、タイヤが滑ることは容易に想像できる。
さすがに道路の管理上、関係機関は何かしらの対策をとらなくてはならないのではないか。
一車線すべて銀杏の葉で敷き詰められているようなところもあって、事故が起きても不思議ではない。
車が滑らずとも、たとえば、二輪車が滑って転んで、それを避けきれなくて車が接触してしまう可能性だってある。
とはいえ、銀杏の葉を全部掃いて捨ててしまえば、景観としては不十分。
銀杏はあくまでも落ちる前と落ちた後の上空と地面の両方が黄色に染まっているからいいのだ。
リスクを優先するか、それとも精神的癒しか。
秋の風物詩にただ癒されていればいいものの、こう考えてしまうのが私の悪い癖。
きれいなバラには棘があるではないが、むしろ、その対極にあるような泥臭くて汚そうで変哲もないようなことのほうが実はリスクがなかったりする。
人はとかくきれいで整ったものに心を奪われがちだが、そう考えると、トランプで良かったのかもしれない。
早く見切って利食いしてしまったが、円安は続いている。
まだまだこの流れは続きそうで、クリントンになっていれば、こうはなっていなかったろう。
実は危なっかしそうなものが安全で長期的に見るとメリットが多いのではなかろうか。
来年は危なっかしいものをちょっと追求してみることにしようではないか。

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