株式会社メティス metis

偉大な人ほど早すぎる

平尾さん・・・まさかでしょ・・・。
平尾誠二が逝ってしまった。
まだ53歳。
けっこうなダメージ。
高校時代、東京の都立でラグビーをしていた人のあこがれは、松尾雄治だった。
成城育ちでしゃれているし、同じ東京の名門目黒高校から明大、社会人でも新日本製鐵釜石のキャプテンとして活躍し続けた第一人者だから当然。
ただ、私は、平尾だった。
松尾は確かにすごい。
スターだったが、ひと回り年上で、あまりにも遠すぎた。
その点、平尾は私の2歳年上、学年では3つ違う。
私が1年の時には、京都の伏見工高で花園で輝き卒業して入れ違い。 私は高校でラグビーから離れてしまったのだが、進学して関西に行くと、その平尾は同志社で大活躍していた。
私の大学側から見れば、立同戦なのだが、スポーツではとかく同志社がライバルだった。

同志社時代の平尾を目の当たりにして、「やっぱすげえ。人間じゃない。ラグビーやっていなくてよかった」と感じたものだ。
そして、平尾は神戸製鋼時代にラグビーを極めたのだ。
学生時代から見てきたからこそ、ショックだった。
平尾の実践する組織論、リーダー論はけっこう参考になる。
どのスポーツも監督としてチームをまとめ向上させるのは大変だと思うが、とくにラグビーは難しい。
スクラムハーフと一本目の体重差なんてすごいものだし、各ポジションによって求められるものが全く違う。
技術や体力、能力を比較するのが一番難しいスポーツだと思うのだ。
それをまとめていくわけだから、平尾の話はとても役に立つ。
自分しかできない役割をどう自覚させるかを常に考えていたようだ。
組織=個性を抑えつけるというイメージがある。
個性をどう生かすか考えることが、組織の向上につながるという発想は、受け入れやすかった。
つくづく、惜しい人を亡くした。
数日前に今年の健康診断の結果が届いた。
幸いにも、引っかかったのは、中性脂肪の値だけだった。
「煙草をやめて食事を改善して運動をしましょう。」
医者からのコメントに毒づいていたが、反省した。
毎日、ラーメンを食べている場合ではない。
人間離れしたあんな人が逝ってしまうのだから、私のような凡人は、もっともっと節制しなきゃいけない。
よし、明日から、はじめよう。

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