株式会社メティス metis

敦盛

弁理士にまかせっきりの感じだったが、ようやく特許の申請書類も完成し提出済み。
私自身が実際にこれがないと眠れないほど今では頼っていて、快眠グッズとしては相当自信がある。
世に出せる日を今か今かと待ちわびているのだが、余程のことがない限り、特許庁は一度で特許を認めることはないそうだ。
一度突っ返されて、書類を書き直してからの二度目が本当の勝負らしい。
もちろん、遠回りすればするほど印紙代など諸経費はかかってしまうが、まあ慣例というか税金のようなもので仕方がないと諦めるしかない。
特許を申請してその是非の結果が出るまでにずいぶんと時間を要するものだが、実はこれは悪いことばかりではない。
一年二年かかってもいいと考える人が多かったりする。
その意図は…。
特許はようは早い者順。
特許の申請手続きに入ってしまえば、まだ取得できていなくても、申請中とすれば後から真似されても早い物順で勝てる。
つまり、特許申請中の期間に商品を世に出して、結果の是非に関わらずその間に売ってしまおうというわけだ。
だからそれが長い期間であっても構わない。
結果特許が取得できなかったとしても、その間権利の侵害を防ぎながら販売できる。
確かにこの作戦もありだろうし、実践的だと思う。
ただ、私は、とりあえずは王道でいきたい。
特許が認められ、堂々と特許アイテムとして、世に出したいと思っている。

さて、今月2月22日で当社も設立15年目に入った。
この節目の年は、特許の件も含めて、「動く!」をテーマにやっていこうと思っている。
いつの間にか私も今年は50歳。敦盛の「人生50年~」ではないが、昔ならば一生を終える年である。
二度目の人生というわけではないが、結果的に現状維持となっても、どうにかもがきたいものだ。
経営者の第二の人生は、会社を退いて、引退した時だと人は言う。
最近は、後継者不在で会社を売りたいとか後継者を探しているという話をよく耳にする。
とくに地方の会社の経営者は、子供がいてもみな都会に出て行ってしまって頭を抱えているようだ。
会社をたたまざるを得ない経営状態なら、逆に悩む必要もないだろう。
やめてしまえばいい。
将来性のあるアイテムや技術を持っていたり、資金が潤沢な会社であれば、黙っていても後継者として相応しい有能な人間が集まる。
子供だって、都会へ憧れても、最後には甘い水には寄ってくるはず。
一番厄介なのは、どっちつかずの会社だ。
頑張ればどうにかなる。
しかし、気を抜いたり、歯車が狂えばどうなるか分からない。
こういった法人の経営者こそが後継者不足に悩んでいるわけだ。
そして、最終的には売って楽になろうと考える。
当社にもこのような法人のM&Aの話が来たりして、吟味検討中だが、50歳を境目とした二度目の人生を考えたとき、虚しくなったりもする。
行きつく先がこんなオチでは困るから、やっぱり頑張ろう。

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