株式会社メティス metis

こやつの存在

早いものだ。
昨年の夏の終わりに生後二か月の猫が我が家の一員になって、もう一年が経つ。
その頃のこやつは片手に収まるほどの大きさで、踏み潰してしまわないかと気が気でなかった。
気性だけは人一倍で、体重が自分の十倍近くもある先輩猫に向かって、真正面から戦いを挑んでいたっけ。

一年後のいまではこんなに大きくなった。

疲れ切った私の心に安らぎを与えてくれるわけだが、こやつを見ていて、思うことが二つある。

一つ。
この一年でこれだけ大きくなってしまった。
物理的にこれは一目瞭然で、何度目をこすってみても消すことのできない事実。
育ち盛りの年頃には絶対に敵わないと実感させられる瞬間である。
仕事についてもこれは当てはまる。
老獪な我々は、小賢しいテクニックや誤魔化しでその場をうまく乗り切ったり、あたかも新たなモノを生み出しているように見える。
しかし、育ち盛りの人間のポテンシャルや勢いには絶対に敵わない。
抜かれるのを待つばかりの身なのだ。
こやつを見てると、その成長ぶりに、寂しさを感じざるを得ないのだ。

もう一つ。
家猫であっても、隙あらばサンマを狙うこの貪欲さ。
黙っていても三食昼寝付きの生活が約束されているのに、これである。
追い払っても追い払っても、その姿勢は崩さない。
私の傍に来て、私の動きを観察し、目を離した隙に食べてやろうとまとわりついてくる。
経営者にとって、これは見習うべきもので、まさに生きた教本だ。

経営に安定性が感じられると、もうこれでいいじゃないか、無理することはないじゃないかとどうしても考えが保守的になってしまう。
自分の器に敏感な人ほど、そういった考えに傾倒していく。
かくなる私もそうであって、齢を重ねるごとに失敗を怖がるようになってくる。
しかし、こやつを見てみろ。
どんな守られた世界にいても、好奇心は衰えず、ほしいものはほしいと狙うのだ。
要するに、育ち盛りの人間がこの好奇心と貪欲さを備え持っているとすれば、我々なんて太刀打ちもできない。

こやつを見て憂い思い、一方で若者に期待する。
こやつは私にいろいろなことを教えてくれている。

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